「飲み会」という老害
飲み会よりも
家に帰って
テレビをつけて
ビール缶のプルを開け一息つきたい
切実です。
飲み会ってなんのためにあるんでしょうね、飲み会で本当にコミュニケーションが深まるとでも思っているんでしょうか
「酒を酌み交わして、ホンネで語り合うことで親睦が深まる」
といった感じで、飲み会におけるコミュニケーション(いわゆる「飲みニケーション」)の重要性を強調してくる先輩たち
そんなわけあるかい
人間言いたいこと、言っちゃいけないことの分別をつけているもので
酔った勢いで普段お口にチャックをしていた仕事の不満、上司の悪口を言ったら次の日の職場は、まあ、地獄ですね
かといって、先輩たちにも事情があるのかもしれません
飲み会は日本の悪しき慣習として、そして大学~社会人の一般的なコミュニケーションの方法として定着しています
もし私がグループのリーダーになり、年齢・性格バラバラの部下たちとこれからチーム一丸となって頑張るぞ!といったとき、まずはじめにすることは「飲み会」なんじゃないんですかね(適当)
役割が人を作るといえばいいのでしょうか
“上司や大学の先輩はこうするべきだ”というステレオタイプにしたがって
動いているのかもしれません
だからといって
“最近の現代っ子はつきあいが悪い”
“自分の若い頃は~”そう思い始めたあなたは立派な「老害」予備軍です。おめでとうございます
老害はなにも年を取った老人だけがなるものではありません
古いステレオタイプにがんじがらめになって、頭が固くなっているとき
老害予備軍になっているのです
そろそろ「飲み会」先輩は後輩に引導を渡してもいいんじゃないですかね